夜の灯が照らすバンコクの市街地、まだチャオプラヤ川からの風とその匂いを感じとることのできる通りには、古い建物を改修した垢抜けたレストランやバーを目にする。たくさんあるわけではなく、夜に眺めるこの辺りの殺風景さを放つ通りに沿って横に並ぶ古い建物は、レストランやバーに黒々と重立った印象を与え、昔からの建物と上手く調和しているように見える。そんな通りにあるひとつのBARでちょうど一周年を迎えたパーティが行われた。
「YAyyyyy Record Bar」広くはないその店内では、2台のJBLの4312からレコードの音が響き渡る。ドアの外にはチェアが一脚と、モンステラが窮屈そうにも日中は陽光のおこぼれに与っている。そこで一周年記念のパーティのDJとして呼ばれ、粋な空間に包まれながら、そこの空間や人々と共に陶酔した。

バーテンダー2人とウェイターが数人、バーカウンターは常に混み合っていて、バーテンダーは絶えずコンパクトな3ピースシェイカーを振っていた。彼らの背にはレコード棚が設けられ、そこにぎっしりとレコードが詰まっている。飾られたレコードを見る限り、大瀧詠一、竹内まりあや宇多田ヒカルなど日本のアーティストが時を越え大きく彼らの耳を刺激し、心を掴んでいることは一目瞭然であり、ひとつの時代の音楽が評価され人々を夢中にさせていることに、すっかりと誇らしげに思ったものだ。そんなわけで前野曜子や阿川泰子をセレクトしてプレイしたほどだった。

JBLからは70sから80sにかけてのSOUL,FUNKにJAZZFUNKそれにDISCO、それをサンプリングしたHIPHOPが主に流れ、腕を振ってリズムとひとつになった。JamesBrownがいっているように、「Shake your arm, Then use your form. Stay on the scene like a sex machine」セックスマシーンとはいかずとも、腕を振り、足でリズムを刻み、夜が深まっていくのを柔和に感じ取った。Sadeの「Kiss of life」のJazzアレンジでずいぶんと場の雰囲気が上がり、体を揺らしカクテルグラスを口に運ぶ人を眺めたものである。バーカウンターへ行き肘を置くと、「これは知ってるか?」とバーテンダーが「HEIWA CRAFT」のIPAのラベルを見せた。「もちろん知っているよ」バンコクで君の姿を見るとは驚いた。さっそく手に取り喉へと運んだ。ホップやモルトの香りが鼻から抜け、あとからフルーティさがずいぶんと漂った。
店内は、彼らバーテンダー2人の顔馴染みであると思われる人から、上手く着こなした隅のテーブルに座る3人組の男たち、DJたちの顔見知り、バーカウンターには1人で座る女性やおしゃれなカップルなど20から40代のタイ人で盛り上がっていた。時折入ってくるツーリストは音楽に耳を傾けていたが、しばらくするとその姿も見なくなった。ローカルの店と馴染み深い人達の空間は彼らに少し煩わしいものであったのだろうか。1周年パーティの今宵、Yayyyyyを見事に祝おうと意気込んでいる人のことをどうしても感じずにはいられなかった。そこには幸福な空間が存在し、そこに溶け込んでいく自分もずいぶんと気分がよいものであった。まったくそれにはお酒が一役買ったのはいうまでもないことだった。

軽快なドラムで始まった曲に思わずDJの方を見た。「Jonny Bristol-Do it to my mind」だ。キリンのビアを飲む人を多く見た。ウェイターにいってキリンビアを頼んだが、そのドライな味はIPAの後にはいくぶん足を引っ張った。しまったと思いながら支柱に身ををよりかけて人の動きを眺めていると外から戻ってきたひとりのDJと言葉を交わした。Birdという名前の彼は、チェンマイでレコードバーを経営しているといっていた。「会えて嬉しいよ。もしチェンマイに行く機会があれば足を運ぶからよろしく頼む」というと彼は嬉しそうに微笑み、「楽しみに待っているよ」といった。

アルコールが体を周り、ゆっくりと陶酔してきた。 耳に流れ込む音楽は心地良く身体を揺らした。時計の針はぐるっと2周目を周り終えようとしていたが、それがほんの20分ほどだとしても自然に感じ、それとももう3時間ほど経ったとしても同じだった。まったく時間とは不思議なものだ。
手の空いたバーテンダーの1人がHEIWAのIPA2本を握りながらこちらにやってきて、なにも言わずに僕に渡した。ドアのすぐ隣の支柱にもたれ後ろのテーブルの通路を塞いでいた僕は、僕は思わず手に取ったIPAをすぐ後ろのコーナーのテーブルに座った3人組のテーブルの上に置いた(その時は本当にその行動が正しいと思ったのだ)。あのIPAが僕のだとわかると、すでに赤らんでいた頬がまた少し赤らみ、テーブルから丁重に取り上げ、彼とIPAを交わした。
彼が去ると後ろのテーブルの席に後ろめたい気持ちに駆られて、テーブルの方に一瞥をくれると、1人の女性と目が合った。彼女はブラウンのショートヘアで、その髪を印象的な赤いスカーフで覆っていた。歯を見せて目を細めたので、精一杯の苦笑いを見せた。
テーブルに付くと椅子に腰かけた。グラスを交わして上を仰ぐと、クリムトが描いた華々しい女性の絵が壁に掛けてあった。DJが曲を繋ぎ、スピーカーからはJAZZ MATAZZが流れた。
「失礼なことをしました」
「気にしないで」
頭に空白が停滞した。IPAを口に近づけて仰ぎながら呑み、時間をかけてDJのプレイを眺めた。彼はミッキーマウスが描かれた灰色の、袖と首周りが赤のTシャツを着て、真っ赤のHumanMadeのキャップを斜めに被っていた。
「タイのかたですか?」
「そうよ。でもニューヨークにしばらく住んでたの。デザイナーとして」
「ニューヨークのどこですか?」
「ブルックリン。今は行ったり戻ったりしてて、バンコクでヴィンテージストアの運営を任されているんだけどね、インスタグラムのコンテンツを作ったり、オンラインショップを立ち上げたり…」
その口調にはどこか不安を抱えているようだった。いくつかということが頭に浮かんだが、どれも口にしないことにした。
「すべてが上手くいくといいですね」
「ありがとうね」
時計を見ると2つの針が重なろうとしていた。
「時間って不思議だと思いませんか?時間とは空間に生きるものなのに、我々は秒針で計っている。でも時間はいつも秒針通りには進まないですよね?今聴き入っているこの時間は、思春期の歩みのようにゆっくりと進む。それでいて、秒針は急ぐみたいに過ぎる。ただ音楽は時間を溌剌とまともに満たしてくれる」
「おもしろいことをいうのね」
彼女はまた白い歯を少しみせ、目を細めた。目が合った時と同じ恍惚とした笑顔だった。
「そろそろ行きます」
3人に挨拶をして席を離れた。そしてバーテンダーにさよならをいってドアを開け外へ出た。
外の空気を大きく吸いながら、静かになった夜の川の匂いを運んだ風が僕を包んだ。夜の時間は流れすぎながら区別なく溶け合っていた。
Yayyyyy Records Bar
146 Chakkraphatdi Phong Rd, Wat Sommanat, Pom Prap Sattru Phai, Bangkok 10100
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Open everyday 19:00 – midnight