古着の買い付けをするようになってから、いろんなマーケットや闇市に出向くことが多くなった。自分の脚も使えば、バイクの後ろに股がったり、半世紀前を思わせる古風な「三菱」のバスに乗ったりもする。行く先々ではどこも大勢の人で賑わっていて、屋台があり、熱気を含んでいる。そこで歩みを進めるこの時間の過ごし方が、この国の文化に触れるほどに近づき鮮明で床しい気持ちにさせる。
そんな気持ちになるのも、国の文化の違いである。と断定することはできないが、毎日のように賑わう屋台。晩のおかずを手に下げて帰路へと帰る人。あるいはそこに腰を据え仲間や家族たちと食事をする人。こういう人たちを見ていると、僕の目にはとても新鮮に温かく映る。
名物の「渋滞」に捕まると、普段の2倍か3倍もの時間がかかる。やっとマーケットまで着くと、落ち着く暇もなく駐車場を必死に探さなければいけない。(全く椅子取りゲーム状態である)
砕石が敷かれた場所を歩き進めると歓声と共に屋台が見えてくる。真っ直ぐに伸びる二つの道を挟んで、くねくねと列を縦に歩み、また次の列に移る。その間に目にするのは古着はもちろん、雑貨や骨董品、テレビや電気部品、水回りの設備やモーターバイクのパーツ。車を隣に停め、各々が持ち寄ったものを並べ、各々のやり方で小さな商店を経営している。

ビールを飲みながら仲間のオーナーと話に花を咲かせている人達がいれば、ものが詰まった車の中から商品を取り出して並べている人や、うまく装飾した店、閑散とした店など様々。アンテナをめぐらせ各々の店を一瞥し、目に留まった店で足を止めては、また歩みを進める。永遠に続くかと思われる屋台を漫ろがましくも心安らかに進む。

値段の交渉や言いたいことを慣れない言語で手の動きと表情でなんとか伝えようと必死になっていると、不思議と気付かぬうちに絆が生まれていたり、上手く取引が成功した時にはずいぶんと酔興とした気分になる。時間が経つのを忘れ、文字通り夢中になっている。辺りの店も引き上げて閑散としてくると初めて時計に目をくれる。配置された屋台はもう去り、真っ直ぐと車までの道ができた。その道をゆっくりと歩んだ。
僕が心を惹かれる理由なんて口ではまだ表せない。ただ、何か没頭できることに人生に費やすことは、なんとも言い難い享楽である。そんなことを考えながら帰宅の途についた。