色々と余計に考えて悩んだり落ち込んだりした夜も、朝は曙。目覚めれば爽快でリフレッシュした気分になる。そうやって人生の一日、また一日とカレンダーをめくるように絶え間なく過ぎていくのだが、やはりどうしてもその無垢で清純な眩い朝を実のあるものにしたい。
その朝の目覚めも僕にはある葛藤から始まる。窓からは燦として輝く朝の日差しに感動すら覚える一方で、一晩中包んでくれた毛布にまだ包まっていたい気持ち、そんな葛藤に負けずなんとか起き上がることが一日の始まりだ。
ギリシャの哲学者アリストテレスの日課は、「朝早く起きて散歩をしながら考えを巡らすこと」だったそうだ。僕の日課はジョギングで、よく近くの寺院まで走る。走っていると今日しなければいけないことを詰めた考えが浮かぶがそぐわずに、なるべく考えず外から感じることを自然に受け入れようとする。(Don’t think, just feel it.)歩幅をリズムに合わせ足を上げて腕を振り少しずつ前に進む。すると寺院の入り口までやって来た。

そこはバイクや車の喧騒は耳に入らず、緑に囲まれた場所。オレンジの袈裟をきたモンクが寺院内を動き回り、いつの間にか顔見知りになった、ホウキで落ち葉を掃除している人やココナッツを売っている女性に挨拶して本堂の前までくる。そして汗が額を流れ呼吸が整うのを待つと、靴を脱ぎ中に入る。

天井は高く、左右の大きな扉からは心地良い風が止むことなく吹いている。腰を下ろし目の前のブッダを拝んで大きく、深く呼吸をしながら正しく座り瞑想に励む。外の木々のあたりから鳥たちの声が聞こえ、東へ行ったり西へ飛んでいくのが感じられる。僕には僕自身の「ポケット」があり、そこに入ってしまうと、たくさんの不必要な思考や妄想から遠ざけてくれる。僕はこの感覚を大切にしたいと思っているのだが、自分でもそれが何かがまだよくわかっていない。それは力が入ろうとすればするほど遠ざかっていくように感じるし、そもそもポケットに自分が入っているのかどうかももはや怪しい次第だ。でも僕にはそれがとても大切だと感じるのし、その感性にもっと従うべきだとも思う。
どれくらい経っただろうか。足を崩してブッダをもう一度拝んだ。東を向いたブッダの方角からは朝日の光が差し輝かせていた。僕は立ち上がりそこをゆっくり後にした。

帰りのランでは色んな思考を少しずつ巡らせてみる。こうして僕の大切な朝を迎える。そうした一日は実りのあるものとなり、また今日も神様から与えられた、つまりこうして太陽が東から上り大地を照らすということを感じる貴重な一日へとなる。