この世界の仕組や生き方なんてまだ知らなかった頃に観た、「ジブリ」映画は、子供の僕にはもう、とにかく訳が分からなかった。
なぜ、ストーリーがそうなっていくのかがわからなかった。まるで華麗な手品をせられた後の、後味の心地良い空虚。そのタネもわからずに記憶が日々に消えていった。ただ、目を奪われるような景色と色彩、強く親しみを覚えるキャラクター、それと音楽だけが頭の中で何度もリピートした。
それから歳を重ね、外国人に、ポニョだとか、トトロだとか、もののけだとか、「お前たちの国は本当にトトロの世界のようなのか?」なんて聞かれると、幼少期を振り返り、確かに僕の育った場所は、夏にはあの家族がいたような匂いを漂わせていたと、心を揺さぶられた。その一方で、ハウルやラピュタやポルコロッソで観た景色は、一昔前の西洋的で、ノスタルジックで懐かしさも含んだ景色を見事に表現していた。
「国民性は車にも反映される」と伊丹十三は言っていた。そうなのだろうか?海外で信頼を得ている頑丈で働き者のトヨタを見てると確かに日本人に親近感はあった。宮崎駿がずっと乗っていた<CITROEN 2CV>は、フランスのおばあちゃん世代のクルマ。最高速度は75km/hで、発進の時はアクセルを床まで踏み込まないと前に進まないが、シンプルな構造。だからクルマのことをよく知ると、どこが調子が悪いだとかわかってきて、持ち主によく馴染んでくる。一昔の前のクルマだから運転も今のクルマのようにはいかない。角をスムーズに曲がるにはテクニックがいるし、坂を登る時には、クラッチに慣れギアを手際よく変えないといけない。そんなクルマだから、マジョリティ層は好まないが、そういう所作を大切にする人にならしっかりと馴染んでいくクルマだ。

クルマ自体の形は洗礼され、ルーフから後ろのトランクまで開けられるようになっている。トランクにはものをたくさん積めることができて、実用性に長けている。

まるで映画館のシートのような設計。深く腰を掛けられ、ゆっくりだが、遠くの場所まで連れていってくれそうだ。
その人の乗っているクルマからその人の仕事に対する意識を判断するには、表面的過ぎるかもしれない。だがもしその人の特性がクルマにも現れるなら、運転に細かい所作を必要とし、一昔前のノスタルジックなフォルムの<CITROEN 2CV>はまさにジブリっぽくて(ジブリがCITROEN 2CVぽくて)、宮崎駿らしいと言えないだろうか。

このシンプルで洗礼された設計が1940年代には確立されていた。売り出し時のキャッチフレーズは、「農地を卵を積んで走っても割れませんよ。」

カーブをスムーズに曲がるには、テクニックが必要だ。車体は軽く、車体がこのように傾くので、現代のクルマに乗る現代人にとっては、想像もできないんじゃないかと思う。
結局子供の時によく理解できなかったジブリ作品を、歳を重ねてから観てみると、一体どのように自分に映ったのか。
それは彼の頭の中で蜘蛛の巣のように広がる、人の目には決して映らない、大切な「生」を掴むための細い糸のようなもの(つまり視聴者もその糸をうっすらと感じる必要がある)や、死を神道やスピリチュアルで日本的な世界観をどう絵で表現し、その繋がりを通してどう生きるか?ということを社会の風潮を混じえて示唆しているんだと解釈する。
ストーリーは各々始まりから終わりまで真っ直ぐに進む。でもそれらは映画としての区切りであって、作品の一つ一つ自体は、パズルのピースのようなもの。ピースを繋げていくのは受け手次第だ。
数の多さでもなく、相対的でもない、目にも結果にも現れない日々の生活で大切なこと、それを伝えるためにヴィジュアルやストーリー、音楽を吹き込む。それが「ジブリ」なんじゃないのかと思う。その過程に<CITROEN 2CV>を運転するときのような丁重さと、目を惹くノスタルジックな景色とフォルムとが交差する。